私より不幸な人っていますか…?
警察官をクビになった。
借金が1000万ある。
頼れる身内もいない。
引きこもっている。
冒頭が思いっきりハルオサンのパクリで申し訳ない。
ブログや2ちゃんに限らず、ネットを見るとついつい自分より下の人を見がちではないだろうか。もはや無意識のうちに。
とくにハルオサンレベルになると本当かどうかめちゃくちゃ怪しくなってしまうレベルだが、「人の不幸は密の味」という言葉があるくらい人間は人の不幸が好きだ。
「インスタでウェイってる人を見るくらいなら、ツイッターで不幸な人のツイート見るわ」派の人。皆が下を向いている間に手を上げてほしい。まぁ私も半分手を上げることになるが。
確かに不幸話には皆興味をひかれる。「不幸話」は人間のダークサイドのキラ星なのだ。
ただ、あまりに不幸を嘆いてる人の文を読むと、私たちまで気持ちが落ち込まないだろうか。「蜜は旨かったけど…うん」と、マッサージされに行ったのに逆に体に不快感が残る感じだ。「何か…もう見てらんないな」になったらダメなのである。
「俺はこんなに不幸なんだよ!」と語っている人間に不快感を感じるか、そんなこともあるのか、とスッキリした読後感を感じるか。
線引きは話している本人が笑いに昇華出来ているか否かにあると思う。
「借金1000万あるんだ…ほんともう生きてる意味なんかないよね…死のうかな…生きてていいことなんもなかったし…」
「借金1000万あるんだよね~もうマジヤバいわ~…いや、普通に笑い事じゃないんだけども」
読者の皆様はどちらが大衆受けすると思うだろうか。不幸ソムリエガチ勢なら前者だろうが、一般受けするのはきっと後者だ。
不幸をお笑いレベルにまで自分の中で消化しきれたのなら、誰が読んでも面白いものになるだろう。
逆に自分の不幸をつらつら思いのままに書き殴っていると「うーん、これは五つ星!」みたいな不幸ソムリエファンはつく。しかしソムリエらはあなたが幸せになるのを絶対に許さないだろう。
というか幸せになったとたん読むのをやめる。「あなたの文章」ではなく「あなたの不幸」を求めていたのだから当たり前だ。
私だったらソムリエファンはいくらPV数が増えようと絶対にいらない。
まともなファンが欲しいのなら、まずちゃんと自分の中で消化できている不幸話を上げるのが鉄則である。
はてなブログは不幸話が人気になると聞いた。「人がネットに何を求めているのか」という意味では納得である。おっしゃあ、朝飯前で書き上げてやるぜ!くらいに面白く昇華できる話が私にはないのでまぁ上げないだろう。私のブログではソムリエはマジ地雷である。