ユイリカのブログ

悩み相談受け付けてます

黒歴史は成長の証拠

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お題「わたしの黒歴史」

ハンパねぇお題がきてしまった。
正直今回ほど語れないお題もないかもしれない。
黒歴史」として面白く昇華できるほどのダークな過去が私にはないからである。しかも「過去」にもなりきっていないのだ。
ネガティブな見方をすれば私の歴史はかなり真っ黒、もはや黒を越えて闇だ。悩みは多い人生だったんじゃないかと思う。ついには悩みを数えることすら止めたが。

不幸ソムリエでなくとも続きが気になるかもしれないが、とりあえず面白く語れる自信もないのでやめる。ご自由に想像して下さい。

今からは黒歴史そのものについての見解を語る。結論から言おう、黒歴史なんてあっても全く気にしなくてよい。そして「誰もが通る道だから」とかそういうことではない。

大半の人間は成長する過程で、少しずつ生き方や考え方を変える。つまり恥ずかしいような黒歴史が存在する、という事はそれだけ当人が成長したということだろう。
恥ずかしいと思えるくらい客観性を持てたのだから、黒歴史があるということは必ずしもマイナスにとらえる必要もないのだ。
むしろこんなにも黒歴史があるんやぞ、と合コンの場で話してみて欲しい。多分だがモテない。

そもそも黒歴史は中途半端に自慢する奴以外は自分から言い出さないだろう。
だからお題スロットででた、とかそういう局面以外ではまず自分から言わないだろう。

まあ黒歴史を話すとしたら最適な場所は「友人を慰める」タイミングじゃなかろうか。
黒歴史は恥ずかしい反面言うには覚悟がともなうのだから。
友達が何かおもいつめている事があるなら、こちらも「自分も対してあなたと変わらないんだよ」と伝える際に黒歴史は一番使えるんじゃないかと思う。
黒歴史を話して相手が笑ってくれたなら、きっとその先も良い友人でいられる。

黒歴史は人が成長した過程とも言えるし、人を救うことだってあるのだ。黒歴史は悪いものばかりじゃない。

そして歴史にすらなっていない「黒」のそこのあなた。ぜひ当ブログに相談してみてほしい。
もはや当初の目的を忘れがちだが、私は悩み相談したいと思ってブログを始めたのである。
「黒」を「黒歴史」に変えたいと思ったら、気軽に書き込んでみて欲しい。
以上、真面目にしめてみた所存である。

カメラに興味はないけれど

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お題「カメラ」

めちゃくちゃ書きづらいお題が来た。
多分誰も覚えていない(というか見てもない)かもしれないが、私は前回「思い出の一枚」というお題で「写真は撮らない」と話したのである。

写真を撮らない人間に「カメラ」というお題が出る=オタクじゃない人間に「今期アニメの一番の押しは?」と聞くことと同じである。

答えられねぇよ。

答えられる訳がないんだ。
何度も言うように私は写真を撮らない派である。
しかし「カメラマン」という職業は存在するし、プロでなくとも写真に興味があり、カメラにこだわる人間は多数存在する。

興味も思い出もないからハイ終わり、というのは自分の眼中外のものは見てません、と言うのと大差ない。

興味、思い出がなくとも「カメラ」という媒体に対して書けることはある。私は魅力を対して感じなくともカメラ、写真好きな人はたくさんいるのだ。
今の時代はとっくにスマホでムービーも撮れるようになっているが、写真が廃らないのも「瞬間を切り取っている」ことに魅力を感じるからだろう。

ただ流され、見せられるだけになってしまう映像も、写真ならみるもみないも自分次第だし想像の余地も多い。何も情報量が多い方だけが残される世の中ではないのだ。

私の周りにも一眼レフを買って楽しんでいる友人は何人かいる。彼女らは良い写真が撮れなくとも、きっと持ち歩いているだけで「写真」という可能性にワクワクしているのだろう。
アートとして写真を撮っている人ならカメラは「自分を表現する手段」ともなるのかもしれない。

私はカメラについては語れない。しかしスマホだろうが一眼だろうが写真を撮ることは本当に一般化している。
カメラは切り口が広く、また凝ろうと思えばいくらでも凝ることができる。ハマろうと思えばいくらでもハマれちゃうのがカメラの凄さなのだろうと、カメラに興味のない私は思う。

見る人がいるか分からないが、「思い出の一枚」の記事はこちらだ。一応載せておく。

yuirika.hatenablog.com

行きたい場所は、ない。

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お題「行きたい場所」

特にはない。

子供だった頃は行きたい場所もポンポン思いついていたものだが、今となっては特にすぐには思い浮かばない。
旅行的な意味ではなくお出かけ的な意味でも、割とカラオケ一択だ。友人と会うときも「まずはカラオケ」という流れができている気がする。
スマホに変える際、特に希望がなければ「まずアイフォンから見てみよっか」となるように、「とりあえず」の選択肢として誰かと会うときにカラオケは存在する。

カラオケは人と遊ぶ際に外す場所ではない。カラオケが「とりあえず」の選択肢になれるくらい、カラオケの成長とともに成長した私達の世代では共通言語と化しているのだ。日本語をマスターしててもカラオケ語が話せない人にはなかなか厳しい世代かもしれない。

しかしカラオケは積極的に行きたい場所ではない。普通に好きだし歌うのも楽しいが、「自ら行きたいと思うか?」聞かれれば否、といった感じだ。

ここまで読むと私がとてもインドアな人間だと想像するかもしれないが、(私も少しインドアかもと思った)そんなことはない。(と思う。)

昔は色んな国に旅行に行きたいと思っていた時期が会ったように、今は「特に思いあたらない」という時期なのだ。だからしばらくしたらまた行きたい場所が出てくるんじゃないかと思う。

ちなみに今一番楽しい、より気持ちいいと思っているのは昼寝だ。今のままだと本当にインドアは否めない、というよりインドア以外の何者でもない。

当ブログを始めた背景も自宅でヒマだったからだ。私のインドア時期=当ブログがどれだけ続くかも見物である。

予想図あっても人には見せない

未来予想については「知らん」と言いたい。

今回のお題はどっかとコラボしているみたいで、投稿管理画面にはわけの分からないURLが並んでいる。コラボURLのお陰で正直少し書きにくい。

多分はてブロ側の欲しいような回答は書けないだろう。将来何がしたいとか特に言いたくないからだ。だからアンサーは「知らね(言う気がない)」になってしまう。まるでブログ界沢尻エリカである。

記事をここで終わらせるのもありだが、「知らん」で終わらせるなら書かない方がよい。ただのクソ記事の3分クッキングになってしまうため、せめてもう少しはのばそうと思う。

そもそもこちとら身バレしたくないのだ。

「何で有名人だと思ってるの!?」というツッコミの前に私の意見を聞いてほしい。ひと通りしゃべった後ならいくらでも発言していいから。

私の言う身バレとは、私自身の年齢や所属、住所を特定されることではなく、どういった人間で何歳ぐらいなのか予想されることを言う。
そう、つまりは「どういった人かを予想される」だけだ。ネットをやる人間は一度でも考えたことがあるだろう。ネット上で話題の人間や話している相手がどういう人なのかと。

私は「予測するのは好きだけど、予測されるのは好きじゃない」というタイプなのだ。「ちょっかいを出すくせに出されるとキレる」という面倒くさい小学生みたいなタイプと言えるかもしれない。ただ面倒くさいやつになってしまうのはそれなりの理由があるのだ。

ネット上で活動している人間の目的は様々だ。自分を売り込むために使っている人もいれば、誰にも言わないような思いや考えを書き殴っている人もいる。

私は圧倒的後者、つまりは「特に顔が見える相手がいないからこそ活動している」タイプだ。だからあまりブログ自身に足跡をつけたくないし、地図も人に見せたいとは思ってない。

前置きがめちゃくちゃ長くなったが、未来予想図を語ることにより「どういう人間か」分かっちゃう可能性大だ。少なくとも世代はバレるだろう。だから言いたくないのだ。

まあ読者は普通にいないので9割9分で発言しても大丈夫と言えるかもしれない。しかし私は石橋を叩いて渡るタイプ(だと思っている)ため、今回は更に考慮を重ね渡らずにいようと思う。

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私より不幸な人っていますか…?

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警察官をクビになった。
借金が1000万ある。
頼れる身内もいない。
引きこもっている。

冒頭が思いっきりハルオサンのパクリで申し訳ない。
ブログや2ちゃんに限らず、ネットを見るとついつい自分より下の人を見がちではないだろうか。もはや無意識のうちに。

とくにハルオサンレベルになると本当かどうかめちゃくちゃ怪しくなってしまうレベルだが、「人の不幸は密の味」という言葉があるくらい人間は人の不幸が好きだ。

「インスタでウェイってる人を見るくらいなら、ツイッターで不幸な人のツイート見るわ」派の人。皆が下を向いている間に手を上げてほしい。まぁ私も半分手を上げることになるが。

確かに不幸話には皆興味をひかれる。「不幸話」は人間のダークサイドのキラ星なのだ。

ただ、あまりに不幸を嘆いてる人の文を読むと、私たちまで気持ちが落ち込まないだろうか。「蜜は旨かったけど…うん」と、マッサージされに行ったのに逆に体に不快感が残る感じだ。「何か…もう見てらんないな」になったらダメなのである。

「俺はこんなに不幸なんだよ!」と語っている人間に不快感を感じるか、そんなこともあるのか、とスッキリした読後感を感じるか。

線引きは話している本人が笑いに昇華出来ているか否かにあると思う。

「借金1000万あるんだ…ほんともう生きてる意味なんかないよね…死のうかな…生きてていいことなんもなかったし…」

「借金1000万あるんだよね~もうマジヤバいわ~…いや、普通に笑い事じゃないんだけども」

読者の皆様はどちらが大衆受けすると思うだろうか。不幸ソムリエガチ勢なら前者だろうが、一般受けするのはきっと後者だ。

不幸をお笑いレベルにまで自分の中で消化しきれたのなら、誰が読んでも面白いものになるだろう。

逆に自分の不幸をつらつら思いのままに書き殴っていると「うーん、これは五つ星!」みたいな不幸ソムリエファンはつく。しかしソムリエらはあなたが幸せになるのを絶対に許さないだろう。
というか幸せになったとたん読むのをやめる。「あなたの文章」ではなく「あなたの不幸」を求めていたのだから当たり前だ。
私だったらソムリエファンはいくらPV数が増えようと絶対にいらない。
まともなファンが欲しいのなら、まずちゃんと自分の中で消化できている不幸話を上げるのが鉄則である。

はてなブログは不幸話が人気になると聞いた。「人がネットに何を求めているのか」という意味では納得である。おっしゃあ、朝飯前で書き上げてやるぜ!くらいに面白く昇華できる話が私にはないのでまぁ上げないだろう。私のブログではソムリエはマジ地雷である。

平成とは何だったのか、今後どう生きるのか

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「平成最後の○○~!」と浮かれている輩も多いが、とりあえず平成は終わる。この30年間はどういう年だったのか、と聞かれれば

「先の見えない恐怖を感じる人と、生き方を工夫した人の混在した時代」

だったのではないか。取りあえず最終的には先の見えない時代に突き進んで終わった。
まあ私は30年生きてないので想像で語る部分も多い。だから「平成生まれは平成をこう考えるものなのだな」と思って読んでほしい。

昭和はレールがしっかりしており、レールを突き進むビジョンも、レールから外れる道も分かりやすく存在していたのだと思う。
レールから外れたところで「どうにかなるだろ」と思えるくらい景気は良かったのだろう。
そしてバブルははじけ、気楽な時代は終わった。
バイト生活でもそれなりに好きな生活を送れる時代は終わったのである。多分。

当然バブルがはじけた翌日から皆の生活が変わったのではなく、段々と生活が変わっていったのだろう。
不景気になるのは年単位だった。
ただ不景気になろうと、これまでの暮らしではだめだ!と思えた、もしくは不景気になる前に「こんな時代は続かない」と気づけた人も一定数いた。
そして変われる人は生き残れ、変われなかった、気づけなかった人が没落していったのだろう。いつの時代も変化が起こるときはまず「変化に気づく」ことが最重要だ。
誰に教えてもらえるものでないから、いつ何時も冷静にいる、日常の中の変化を見つめることが大切だ。
まぁ別にニュースとか常に見てなくても
「あれ?これってどうなんだろう、なんか今までとは違うなぁ」
バブルが終わる際、誰もが物価やら日々の時給やら生活している上で気づいたのではないか。
「もうこれまでとは違う」と気づいて「ならどうするべきなのか」と考えられるか、行動できる存在にならなきゃいけなくなったのだと思う。
「時代を知る」ことが日々に恐怖を感じる結果となる人、工夫して行動できる人の差をつくるのではないだろうか。まぁ時代をブチ切って好き勝手生きる人間はいつの時代もいるが、好き勝手人間も多分減った。

そして「どうするべきなのか」は今の方が100倍問われているだろう。

そして平成は「今後どうするべきなのか」どんどん問われる時代だったのだと思う。

現代は真面目な子が多いと言われるが、どう考えても時代がこれまでと比べてシビアだからだ。きっとそれ以上でも以下でもない。人間必要にせまられなきゃ真面目になんかなれない。

本屋に行けば山ほど「今後はこうなるよね」本が並んでいる。
AIがどうとかlotがどうとか、先が見えない恐怖に皆取り付かれている。
シンギュラリティが来るかどうかなんて知らないが、

今必要なのはまず楽観的になることなのではないか。

別に話をブチ切った訳ではない。ただ見えない未来に悲観しても意味がないと言っているのだ。

「AIに職をとられる?」確かにそうかもしれない。ただもし職をとられた所で何だというのだ。

AIを上手く使いこなせればこれまでの作業の効率化が行われ、より自分の時間が増える。よりマーケティングが上手く行われるようになり、日々の生活をよりよいものにしてくれるのだろうと思う。

いかにAIを使うか、職を奪われると思う前に考えてみたらいいのではないか。新しく出てきたものには上手に使うに限る。

平成最後だからなんだよ

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「平成最後の夏」「平成最後のライブ」「平成最後の○○」
皆さんは去年何回聞いただろうか。
もはや去年、そして今年の5月までの枕詞は平成最後である。確かに平成を過ごした身としては平成が終わるのは感慨深い点もある。平成の30年間はどういう年だったのか、など。(これについては後日記事を上げるつもりだ。)そして次の年はどんな感じになるのかな、というワクワクもある。

しかし正直言って皆騒ぎすぎである。というか今「平成最後の○○」とか言って騒いでる奴は来年絶対「新年号最初の○○」と騒いでいるに違いない。もちろん今以上に。

ただ平成が終わるのは、ものすごくドライに言ってしまえば天皇という1人間(生物学上は)が変わるに過ぎない。一度年号は変化するが、天皇という存在は政治に口出しする存在でも無い以上、日常生活に何ら変化はない。年号が変わることにより歴史の節目はつくが人々の暮らしは変わらない。
暮らしが変わるわけでもないのに皆が「終わる」ことに感慨深さ、少しの切なさを感じている。「最後だから盛り上げるぞ!」というのは中学3年生の体育大会とか、高3の女子を「LJK」と呼ぶのに似ている。ある意味微笑ましい。

次にくる時代はどんなものになるだろうか。世界の一体化が進んでいる今、少しでも平和な時代になることを願う。