ネクロコのブログ

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平成とは何だったのか、今後どう生きるのか

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「平成最後の○○~!」と浮かれている輩も多いが、とりあえず平成は終わる。この30年間はどういう年だったのか、と聞かれれば

「先の見えない恐怖を感じる人と、生き方を工夫した人の混在した時代」

だったのではないか。取りあえず最終的には先の見えない時代に突き進んで終わった。
まあ私は30年生きてないので想像で語る部分も多い。だから「平成生まれは平成をこう考えるものなのだな」と思って読んでほしい。

昭和はレールがしっかりしており、レールを突き進むビジョンも、レールから外れる道も分かりやすく存在していたのだと思う。
レールから外れたところで「どうにかなるだろ」と思えるくらい景気は良かったのだろう。
そしてバブルははじけ、気楽な時代は終わった。
バイト生活でもそれなりに好きな生活を送れる時代は終わったのである。多分。

当然バブルがはじけた翌日から皆の生活が変わったのではなく、段々と生活が変わっていったのだろう。
不景気になるのは年単位だった。
ただ不景気になろうと、これまでの暮らしではだめだ!と思えた、もしくは不景気になる前に「こんな時代は続かない」と気づけた人も一定数いた。
そして変われる人は生き残れ、変われなかった、気づけなかった人が没落していったのだろう。いつの時代も変化が起こるときはまず「変化に気づく」ことが最重要だ。
誰に教えてもらえるものでないから、いつ何時も冷静にいる、日常の中の変化を見つめることが大切だ。
まぁ別にニュースとか常に見てなくても
「あれ?これってどうなんだろう、なんか今までとは違うなぁ」
バブルが終わる際、誰もが物価やら日々の時給やら生活している上で気づいたのではないか。
「もうこれまでとは違う」と気づいて「ならどうするべきなのか」と考えられるか、行動できる存在にならなきゃいけなくなったのだと思う。
「時代を知る」ことが日々に恐怖を感じる結果となる人、工夫して行動できる人の差をつくるのではないだろうか。まぁ時代をブチ切って好き勝手生きる人間はいつの時代もいるが、好き勝手人間も多分減った。

そして「どうするべきなのか」は今の方が100倍問われているだろう。

そして平成は「今後どうするべきなのか」どんどん問われる時代だったのだと思う。

現代は真面目な子が多いと言われるが、どう考えても時代がこれまでと比べてシビアだからだ。きっとそれ以上でも以下でもない。人間必要にせまられなきゃ真面目になんかなれない。

本屋に行けば山ほど「今後はこうなるよね」本が並んでいる。
AIがどうとかlotがどうとか、先が見えない恐怖に皆取り付かれている。
シンギュラリティが来るかどうかなんて知らないが、

今必要なのはまず楽観的になることなのではないか。

別に話をブチ切った訳ではない。ただ見えない未来に悲観しても意味がないと言っているのだ。

「AIに職をとられる?」確かにそうかもしれない。ただもし職をとられた所で何だというのだ。

AIを上手く使いこなせればこれまでの作業の効率化が行われ、より自分の時間が増える。よりマーケティングが上手く行われるようになり、日々の生活をよりよいものにしてくれるのだろうと思う。

いかにAIを使うか、職を奪われると思う前に考えてみたらいいのではないか。新しく出てきたものには上手に使うに限る。