老後の世界の不透明さ
今週のお題「理想の老後」
何とも線香臭いようなお題が来たものである。いや、言わずとも少子高齢化、年金受給者引き上げ、2000万問題など「折り返し地点を過ぎてからの話」を見ない日はない。
老後になってからも「こんなビジョンを叶えたいぜ」みたいな大きい話でなくとも、最低限不自由しない程度の目標を達成するためには今から考えるのも意味はなくもないのかもしれない。
けれど、10年以上先の世の中なんて、誰にも読めなくないか?
少なくとも私は10年前の2009年、
特にインターネットの在り方の変わりようは凄まじく、スマホのおかげでいつでもどこでも他人と繋がれ、世界は一気に縮まったと思う。
気候も経済も国の在り方もこの10年だけでもかなり変化し、誰だってこんな世界になるとは思ってなかったんじゃなかろうか。
もちろん、先が読みにくいのと将来に備えて用意しておかない、というのは話が違う。しかし今から将来に備えて預金しておこう!という考えだと10年後にはもっと別の稼ぎ方があった!とか語学を勉強しておいた方がよかった!みたいな話になるのかもしれない。
普通に働いているだけでは十分なお金を稼ぐことが難しくなっている昨今、自分が楽しみながら稼ぐ方法を見つけるのが一番良いのかもしれない。
よって私の理想の老後は「生活水準を下げない程度の暮らしを送る」というめちゃくちゃつまらない回答になってしまった。
あきらかに時代のあおりを受けている。でも10年前の私が今以上に面白い回答が出来たかというと明らかに否だ。
そもそも「老後になってからでもカジノを楽しんだりアメリカンドリームを掴みたいよね」ぐらいビックな夢があったとして、はたして脳やフィジカル面が感情についてくるのか。体や知能の衰えは必ず来るものだし、健康寿命を延ばすことも大切だが何にだって限界はある。
それに資産形成といってもぶっちゃけ人間いつ動かなくなるか分からないのだから、あまりお金だけあっても意味はないのかもしれない。お金がなければ生きていくのは難しいが、健康体がなければ、まずことが進まないのだから。
だとしたら好きなことを楽しみつつも、今までと変わらないような生活を望むのが個人的に一番いいのではないかと思う。老後に関しては近づいて来たら見えるものが沢山あるのではないだろうか。