ネクロコのブログ

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甲子園とネットモラル

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甲子園中止のニュースを見て悲しかったのは、球児たちを無念に感じたからだけではない。ネットモラルの無い人が、どのくらいの割合を占めているのかと考えてしまったからだ。

先ほどツイッターを見ていたら「甲子園中止」のニュースが流れてきた。予期していたが、子どもの頃からこの舞台を夢見て学生生活の全てをかけて戦ってきた人間の悲しさややりきれなさは計り知れない。この辛さは何かを目指して生活全て打ち込んできた人間でないと理解することも難しいのではと思う。

私は特段野球好きという訳ではなく、むしろ甲子園はほぼ見たことがない。

しかし春大会も無くなり、中止というのは流石に、せめて無観客で秋頃にずらすとか手の打ちようはあるのではないかとニュースを見て思っていた。

しかしここで驚いたのは、少なくとも無念とは思っていない人々の対応である。

ツイッターで甲子園中止を検索ワードに入れると「嬉しい」と予測変換に入ってくるのだ。他にも「取りやめは仕方ない」という配慮無い意見が見れるだけでなく、どこか中止を喜んでいるものも結構な量、少なくとも予測変換になるくらいには見受けられるのである。

面と向かって相手に言えないことはインターネットに書かない、というのは昔学校で教わらなかっただろうか。というより似たような言葉でも一切触れずに生きてきた人間は今日のネットユーザーでほぼいないだろう。

つまるところかなりの人間が基本を忘れているか無視して生きているのである。もちろん炎上を狙っていたり、おかしな人がそもそも一定数いるのは知っているが、今回はかなりの数の普通のユーザーが言ってはいけないラインを軽々飛び越えてしまった感じがする。

人にはあまり言わないこともツイッターには書き込む人が利用者の多数を占めるのではないか。だから今まで甲子園やスポーツそのものに縁がなく、かつ学生時代に野球をやるタイプの友人がいなかったり、そのような人とのいい思い出があまりない人が中止を嬉しがったり、仕方ないと言っているのではないかと思う。

確かにネット上ではそもそもスポーツマンの割合は少ない。球児のツイッターアカウントもあまり見ない。フォロワーに野球ファンがいなければ「まあ喜んでも特に誰かに何か言われることもないだろう」と思っているのかもしれない。

上記のように考え呟くのは色々と間違っているのではと思う。

仮に野球部との嫌な思い出があったとしても、大多数の人が今回出場する選手とは関わりの無い、個人的な相手との記憶だろう。

今回喜んでいる人は「自分が勝手に同類だと判断した、全く別人の雪辱を」喜んでいるのである。

例えるならば「特にいい思い出がなく外国人が嫌いだから、事件の被害者になってくれてよかった」みたいな感じである。これでは街頭インタビューにのらないだろうし、のらないようなことはそもそも言うべきではない。それは少なかろうと高校野球ファン、関係者、球児が見ることもあるツイッターも同じである。

とても当たり前の話になるが、フォロワーが少なかろうと野球関係者がいなかろうと中止称賛ツイートは検索をかけたらフォロー外の人間にも目に入るのである。

実際数少ない球児のツイートにも「『甲子園中止は仕方ない』という意見は目標にして死ぬ気で頑張ってきた人たちにかける言葉ではない」というものがあった。ではなおさら喜んでいる人のツイートを見たらどう思うだろうか。

このような出来事はユーザーのネットモラルの無さと「リア充滅びろ」のようなネット文化が悪い方向に打ち出された結果だろう。

皆今一度インターネットの使い方を確認すべきタイミングなのかもしれない。